備前ロータリークラブ 我 等 の 生 業 NO.10 会員の仕事やそれへの想いのご紹介 |
備前市における私のミッション
杉浦 俊太郎
放送の世界から教育の世界へ転身して2年になりました。当初は多くの方々に驚かれましたが、自分自身ではさほどのギャップを感じることはありませんでした。なぜなら、テレビやラジオの番組制作をする思いと、教育長としてこどもたちや地域のみなさんに向き合う思いとが、ほぼ同じだったからです。
番組制作にあたって私が心懸けたことは、何かひとつでいいから私の作った番組が豊かな人生・豊かな未来をつくる営みに貢献すること。これは私たちの未来そのものであるこどもたちの教育にも共通することです。私が思い描いている「教育のまち」は、豊かな人生を送るための最高の生涯学習環境を、地域に住む人々が総参加して築くまちです。そうしたまちづくりに直接関われる教育長という仕事が、定年退職後の第二の人生を捧げるに相応しい仕事だと確信できたので、備前市へ身を投じる決断を致しました。
教育長になってみて、放送業界にいた時と大きく変わった点もありました。それは、放送番組の視聴者との関わりが間接的であるのに対し、教育を通じたこどもたちとの関わりが直接的だということです。自分の行動に対しダイレクトに反応が返ってくる、それはNHK時代には味わったことのない喜びでした。
私がいま自らの使命として力を入れているのは、こどもたちが豊かな人生を送る土台となる「人間力」「アイデンティティ」を育むことです。人間力とは、確かな学力(知)・豊かな心(徳)・健やかな身体(体)の総体ですが、これからの時代に不可欠なのは、その人間力形成の場が「地域」だということです。学校が地域の重要な構成単位として地域に溶け込み、協働してこどもたちを育むかたちこそ、いま文部科学省も力を入れている教育の方向性です。グローバル化の時代だからこそ、生まれ育った故郷を愛し、地域の価値を世界に発信できる人材が必要なのです。
私は長く外国人相手の仕事をしていましたが、単に外国語が喋れるだけで故郷のことも祖国のことも何も語れない、そんな日本人が世界の舞台で立往生している姿を嫌という程見てきました。世界ではアイデンティティのない人間は相手にされないのです。だからこそ、地域でしか注げない愛情をこどもたちに精一杯注ぎ、地域の価値をこどもたちに体感させ、豊かな人間力に溢れた大人に育てたいと思うのです。
そのためには、背中を見せる地域の大人たちが知的でカッコ良くなければなりません。社会に出ても学び続けることが出来る環境も必要です。ロータリークラブ会員こそ、知的でカッコ良い大人の代表だと私は思います。会員のみなさん、共に生涯学び続けて、こどもたちに背中を見せようではありませんか。
現代雑考(社寺を見て)
髙木 光俊
現在の日本は、皆さまご存知のように少子高齢化がスピードアップして進んでいます。日本の人口も先進国の中では、減少傾向が続いてきています。
近年では、マスコミ、雑誌で『寺院消滅』の文字を見かける機会が多くなりました。今後20年もすると、我が真言宗では47%の末寺がなくなるだろうとの推計が出ました。仏教寺院宗派の中では一番だそうです。墓じまい・檀家の減少など様々な現象が起きているようです。それでも、宗派としてはまだ危機感は薄く、茹でガエルの様相と言ってよいようです。
旅行、行事など、以前は地域で取り組んでいたことが、団体から個人へと移ってきています。煩わしい、めんどくさい、人との付き合いが苦手などいろんな要因があるでしょう。でも、変えなければならないこと、変えなくてよいこと、変えてはならないことをよくわきまえなければなりません。
私は、四十歳の頃から、朝六時四十五分位に梵鐘を打ちます。近隣に家々が増えてきて、あまり強くは打てなくなりました。次にお堂で鐘を鳴らします。「ああ、お寺の金が鳴っているなあ」、聞こえた人にそう思っていただければありがたいのですが、「やかましいから除夜の鐘の中止を」、子供の怪我や、騒音を理由に「保育園設置反対」などと言われる時世ですから気が引けます。いつの頃からか日本人の心は乾いてしまったのか?!
寺(僧侶)らしいことはできていませんが、法要後はできるだけ、わずかでも法話(と呼べる?)をするよう心がけています。そして抹香臭くない、よい香を焚いて、今日のお香の匂いは良かったなと気づいてくれることも期待しています。言葉使い、優しさ、親しみの持てる寺(肩肘を張らない)を目指して!
明るい展望の見えない地方の一寺院では、これから尻すぼみになっていくだけなのか? 生き残れるお寺はどんな寺院なのか? 苦しくなると、竜が珠を吐く様に・・・
「頭を剃って欲を剃らず、衣を染めて心を染めず」昔の人は言っています。「仏法を滅ぼすのは坊主だ」とも。寺院(僧侶)が、神社(神主)、教会(神父、牧師)に比してみると、圧倒的に世間の風評が悪いのは自戒しなくてはなりません。
いろいろ書きましたが、お寺の常識は、世間の非常識ですので、ご寛容のほどお願いいたします。
私の第2の人生
武元 誠治
私は、叔母が経営していた(株)備前文具を任され現在に至っています。25歳の時この会社に入社しいた時には、備前市内には有力なお店が4~5店舗位ありました。任された店は得意先もなく、文房具の小売りと、書籍の配達、多少の文具の納品を主にしておりました。私も、案外負けず嫌いで、そして欲もありました。備前市内の文具やで一番になってやろうと思いました。
当時他のお店があまり力を入れてなかった事務機販売、特に、機械を売れば消耗品が必ず売れる複写機とか、輪転機を主体に販売していこうと思いました。そのためには、営業マン、機会のメインテナンスのためのサービスマンが必要で、協力してくれる信頼できる2名に来て頂きました。
また、数十年来親しくしていた、ある複写機メーカーの友人に相談したところ、「あなたがそこまで決めたのなら、どこまでも協力する」と言って、5年間で備前市内の機会の設置台数200台の目標を立てて、私の店のために毎週営業マン4名を投入してくれました。お陰で現在それを大きく上回っています。
また、輪転機も知り合いのメーカーの支店長、部長に相談したところ、快く引き受けてくれました。私どもの会社を備前地区の総代理店として、学校関係、役所関係、大手会社関係の販売協力を約束してくれました。誰とでも遊んでおくものだと思いました。
3年前に次期社長も決まり、今は気が楽になっています。
ところで、私は昭和63年に備前ロータリークラブに入会させて頂きました。当時はその地区「1業種1名」ということで、私も初心貫徹でき、当クラブに入会させて頂き誇りに思いました。しかし当クラブも以前と比べ大分変化してきたように思います。変化はだいじですが、私としては、以前のクラブの在り方の方が規律があって楽しかったような気がします。
それを言っちゃぁおしまいよ
高森 謙二郎
「もう『お兄ちゃん』と呼べなくなっちゃった。寂しいよ、悲しいよ」と妹のさくらは泣いた。さようなら寅さん―。
もうすでに、おわかりでしょう、第48作ロケ地、津山市を最後に『男はつらいよ』が、主役渥美清さんの死(寅さんのいう、あばよ日本のみなさん)をもって「完」となりました。
『男はつらいよ』は大人の夢物語であると、だれかが言った様に、日本人として生きている私たちの、心のふるさとだった様にも思えます。テレビで何回も、あるいは、旅先のバスの中で見ましたが、本当に、心洗われるものがありました。
この映画を、国民的人気をえるまでに育てあげた山田洋次監督が、「がんと、知って早く解放してあげなくてはと思いながらも、あと一作、あと一作と、撮ってきた。つらい思いをさせてすみませんでした。27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとうと、別れの言葉を送った。」とありましたが、主役である渥美清さんも立派であったが、監督山田洋次さんの人情味あふれる人柄も、この映画の人気の所以でもあったと思います。
その『男はつらいよ』の映画の中の一場面で、寅さんの名セリフが、ありました。みなさんも御存知だと思いますが、
「それを言っちゃぁおしまいよ」
と言うセリフです。私たち組織人として生きていく人間は、ときとして、我慢できなかったり、腹をたてたり、ヤケになりそうになったりと、又、人と意見があわなかったりと、色々のことがあります。そんなとき、この寅さんの名セリフ「それをいっちゃぁおしまいよ」を頭のどこかに残しながら、「言ってしまった、仕方がない」でなく、あとで後悔することのないよう、人と、ひと、とのつながりを、大切にしていきたいと思います。
最後に、駒澤先生がおっしゃった「正しいことを言う時ほど、少し控えめがいい」この言葉には感動しました。今一番大切にしている言葉です。
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