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クラブ広報活動

我等の生業No.4

   備前ロータリークラブ

              NO.4

                 会員の仕事やそれへの想いのご紹介

 

トラックと私

梶 田 博 嗣

 わが社は、昭和42年に耐火物メーカーと耐火物原料(鉱産物)を加工する工場間の輸送をするトラック運送業として創業しました。 私が入社したのは、1年ほど経った後でした。運んでいた耐火物原料の粒度加工された製品の品質管理を任されました。 

 当時、運送業は国(運輸大臣)から免許を貰って経営する規制産業(昭和26年発布の道路運送法)でした。運賃も認可制だったので、始めの頃は競合する同業者は少なく、割り合い良い時代でしたが、オイルショックを二度経験し、その頃には同業者も多く増えて運賃のダンピングが日常的に問題視され始めていました。

 私は入社以来、耐火物を知ってもらうため、従業員を集めて「学びの会」を続けていました。むろん運送業ですから、積荷の請け渡しに始まる作法や安全教育も話題にあがってきます。その中で、いつも口癖のように「仕事は必ずあとに残るんだ」…「だからあとへ残すような仕事をやろう」と呼びかけていました。(「カジタの運転手はキチンとした仕事をやってくれる」という評判を続けたくて…)そういう強い思いが私にはありまして、自分たちの仕事を形として残していける仕組みをコンピューターによって表せるようにならないか、チャレンジしたのです。

 運送業の仕事は、簡単に言えば顧客から要求される納入条件に応じて運び、引き取り、保管する作業を提供することであります。この一つひとつの作業は、実は運転手一人ひとりの作業として負荷が強いられる傾向にあります。この一人ひとりの動きを時系列で記録として残る方法で『作業指図書』を作ることから始めました。これを応用して車両ごと(運転手ごと)の運行状況が分かるグラフの表示も可能になりました。例えば日中に顧客から急な車両の手配を求められても、電話を受けた事務員が「何時に帰庫予定の○○号車もしくは□□号車を差し向けます」というように、受注し更に配車も可能になったのです。

 コンピューターシステムの完成は昭和59年2月と、長くかかりましたが、顧客からも運転手からも喜んでもらえました。運転手には『指図書』をもって一日の業務を終えられることで「仕事が楽になった」「安心して作業ができる」「同僚の作業がよく分かるので連携がとれるようになった」等の声を貰い、私たちも望外の喜びを味わいました。

他方で全日本トラック協会(以下、全ト協)本部と日本貨物運送事業協同組合連合会(以下、日貨協連)本部から祝いの電話を貰い驚きました。

 コンピューターの稼働が始まって間もなく、全ト協の構造改善部長と日貨協連の専務理事から『中小の運送事業社向けの未来ビジョン』の作成メンバーに加わるように、との誘いがありました。ビジョンのターゲットはやはり“高度情報化(コンピューター社会)への対応”です。この委員会は昭和61年から1年間月1回のペースで開かれました。委員長は明治大学の政治経済学部 百瀬恵夫教授です。組織論にも明るい先生で、我々トラック協会や共同組合の活動では盲点を突かれながら、薫陶を受けました。最後の別れ際に「梶田さん、君は『論語』を読んだことがありますか?」と言われて、しばしやりとりしたことがありました。協会であれ協同組合であれ、所詮は“本音”と“建前”が飛び交って、そこから前へ進もうとしない。表面だけ“和”しているようなのが多い。これからの業界は“和して同ぜず”ですよ。その為にもコンピューター情報は“本音”の世界だから頑張れ…という激励でした。

 私は昭和63年4月にロータリークラブへ入会させてもらいました。吉延会長・星合幹事の年でした。入会して間もない頃に同業の芝田尊正先輩(西南RC)と出会いました。何の会合だったか覚えていませんが、私は業界が秩序を乱している状況をお伝えしたところ、芝田先輩は「業界のことは苦手なんだ。君ら若い人に頼むよ!」と言って「いま私はロータリーの中で出来ることをさせて貰おうと思って、米山奨学生のカウンセラーをお願いに各クラブを回っているんだよ」とニコニコしながら話してくれました。そのとき、私はロータリーの“一業種一人制”の大切さと共に、百瀬教授からの助言を噛み締めたのです。

和して同ぜず。人と交わり集いながらも、自分自身でいること。つまり人と交わったときにこそ自分を見つめ直し、自分をつかむことが肝心。ということではないかと私は理解しています。

団体や集団を強くするには個々がしっかりせねばなりません。なんだか“アイサーブ”へ導かれている今日この頃でございます。

 

私の仕事

亀 川 芳 紀

26才に成る年に東備印刷株式会社で働き始めて約24年となります。最初の1年は島根県の大きな印刷会社で研修をさせてもらい、地元へと帰ってきました。

当社で一番の中心になっているのは紙への印刷ですが、紙の種類もたくさんあり、紙質によって印刷方法も多岐に渡ります。数十年前から現在まで現役で活躍している頑丈な印刷機・最新のオンデマンド印刷機など仕事によって使い分けています。またゴム印も含め紙以外への印刷にも対応致しますので、印刷に関係する事でこんなこと出来るのかな?というような疑問がありましたら是非ご相談ください。

普段の業務はお客様への訪問営業を中心に行っています、取引業者との折衝や求人の際の面接なども行っています。

この仕事では大きな企業から個人まで幅広い方々とお会いできるのが面白いと感じています。これからも新しい知識・情報を取り入れながらお客様のお役に立てるように頑張ってまいります。

備前ロータリークラブではメンバーの皆様の活躍に沢山の刺激を頂いています、今後ともよろしくお願い致します。

私の会社と地域貢献                             

甲 矢 了 二

 我が社は、父が昭和38年8月に創業したものを基に平成元年10月に設立されました。正式名は甲矢工業株式会社で、建築鉄骨加工業を営む会社です。

私は、父でもある先代社長の元に18歳で入社し、28歳で代表者に就任いたしました。代表者になりしばらくして、(協)岡山県鐵構工業会青年部に入会し、同業者との交流が始まりました。すると、交流により業界の様子がわかるにつれて、自分自身の知識不足に驚いたり、我が社が他社より大きく遅れている事に気づいたりで、強い不安と焦りを覚えました。来る日も来る日も他社に追いつく道を私なりに模索したり、考えたり、解らない事は、躊躇なく先輩方の会社を訪ねて教えていただくなど、無我夢中で頑張りました。このころが人生で一番勉強した時期のように思います。そんな努力の甲斐もあってか、現在は国土交通省の認定工場として認められ、鉄骨造の品質確保に一層の磨きをかけるよう努めています。

また、いつのころからか、地域に貢献せずして会社の発展はありえないと考えるようになり、地域活性化の活動にも微力ながら協力させていただいております。お陰で、同業者ばかりでなく、様々な方と知り合うことができました。今ではそれが私の大きな財産となっています。

今後も、「地域に根ざした信頼される会社」を胸に、心を込めて製品を製作していきたいと思っております。

 

「この道53年」  健 康 に 感 謝 !     

亀 川 周 明

ある日突然、スーダラ人生から今の仕事に関わることになり、寝る時間もなく、週末は徹夜、月々火水木金々の生活に・・・。友人からの誘い、仕事上での接待も欠かせない時代でした。若さと元気で、がむしゃらに働き、遊んだ半世紀前を思い出します。

印刷の手法も活字から樹脂凸版・オフセット印刷へと変化し、人による技術・技能から機械技術へと変革が日々進んでいます。特に少ロットのコストダウンにメリットの大きいオンデマンド機による製品化も増加する傾向にあります。

弊社もこの度オンデマンド機の入れ換えで、メリットを加速し、省力化も含め業績の改善、向上に期待しているところです。

 

ささやかな職業奉仕を続けています。

★製造過程で発生する端紙をメモ紙に加工して、来社・納品時に差し上げています。又、全紙(80cm×110cm)の残紙はこども園に届けて伸び伸びと絵を書く紙として使用してもらうなど、不用紙を活用して喜ばれています。

★備前中学校の生徒を毎年2~4名チャレンジワーク(職場体験)に積極的に受け入れ、印刷産業への理解を深めてもらう様努めています。

                                                                        


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